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札幌地方裁判所 平成7年(ワ)652号 判決

原告

甲野一郎

甲野松子

原告両名訴訟代理人弁護士

今崎清和

被告

乙山春夫

北海道

右代表者知事

堀達也

右被告指定代理人

酒向憲司

外三名

被告両名訴訟代理人弁護士

山根喬

主文

一  被告北海道は、原告らに対し、それぞれ二〇〇二万七三〇五円及びこれに対する平成五年二月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告乙山春夫に対する請求及び被告北海道に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告北海道の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。ただし、被告北海道が各原告に対しそれぞれ一五〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは各自、原告らに対し、それぞれ三九六五万〇六六五円及びこれに対する平成五年二月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、北海道余市高等学校(以下「余市高校」という。)のボクシング部に所属していた甲野二郎(以下「二郎」という。)が、平成五年二月五日、同部での練習中に倒れ、同月八日、硬膜下出血により死亡した事故(以下「本件事故」という。)につき、二郎の両親である原告らが、同部の顧問教諭であった被告乙山春夫(以下「被告乙山」という。)に対しては民法七〇九条に基づき、同校の設置者である被告北海道に対しては、主位的に同法四一五条(債務不履行)に基づき、予備的に国家賠償法一条に基づいて、それぞれ損害賠償を請求した事案である。

二  前提となる事実

1  当事者等(いずれも当事者間に争いがない。)

原告らは、二郎の両親である。

二郎は、昭和五一年九月九日生まれの男子であって、平成四年四月、余市高校に入学し、本件事故当時は第一学年に在籍し、同校ボクシング部に所属していた。

被告北海道は、余市高校を設置してこれを管理する地方公共団体である。

被告乙山は、余市高校の教諭であり、かつ、同校ボクシング部の顧問であって、被告北海道の公務員である。

2  本件事故に至る経緯及び事故の発生(甲九、一〇の一、乙六、八の二、一三、検証結果、証人丙川(発言の際の動作を含む。)、被告乙山)

本件事故当日である平成五年二月五日、余市高校ボクシング部の練習は、午後二時二五分ころから同校格技場において、当時三年生の丙川竹夫(以下「丙川」という。)及び二郎を含む部員五名とマネージャー一名とで開始された。顧問の被告乙山は、午後二時三〇分ころから職員会議に出席するため、同部の部長である生徒にスパーリング(グローブを着け実戦形式で打ち合う練習方法)をする際には呼びにくるよう指示して職員室へ行った。

それから午後三時一五分ころまで、各部員は、ランニング等の準備運動の後、縄跳び及びシャドーボクシング(一人で相手を想定しながら攻撃や防御を行う練習方法)を行った。

午後三時二〇分ころ、職員室から戻った被告乙山の立会いのもと、スパーリングの練習を開始したが、二郎はスパーリングには参加せず見学していた。

午後三時四〇分ころから、二郎と丙川はマスボクシング(グローブを着け、二人一組で互いに一定の距離を保ち、実際にパンチを当てずに、タイミングをはかりながら攻撃や防御を繰り返す練習方法。以下「本件ボクシング練習」という。)を開始した。本件ボクシング練習は、従来より他の部員及びマネージャーがロープを手に持って立ち、仮装のリングを作るという方法で行われていたが、このときも同様の方法で行われた。なお、このとき被告乙山はそのロープ内でレフェリー役を務めており、同被告と、二郎及び丙川との距離は、約二メートルであった。二郎と丙川とは大きく離れても一メートル程度の互いに手を出せば当たる距離内におり、いずれもマウスピースを着けていたが、ヘッドギアは着けていない状態で本件ボクシング練習を行った。

本件ボクシング練習の開始から約一分後、二郎は腰を後ろに引く形で、床に膝をつき、前方にかがむように倒れた。

倒れてから約二五分後、二郎は救急車で社会福祉法人北海道社会事業協会余市病院(以下「余市協会病院」という。)に搬送され、そのまま入院した。

3  二郎の死亡(甲一〇の三、一〇の四、証人太田)

二郎は、本件事故の三日後である平成五年二月八日午後四時三九分、余市協会病院で硬膜下出血により死亡した。

三  争点

1  本件事故の態様(殊に、丙川のパンチは二郎に当たったか。)及び死亡との因果関係

2  被告乙山の過失の有無

3  被告乙山の個人としての賠償責任の有無

4  損害額如何。殊に、日本体育・学校健康センターから支払われた死亡見舞金、北海道高等学校PTA安全互助会から支払われた死亡見舞金を損害額から控除すべきか。

四  争点に関する当事者の主張

1  争点1(本件事故の態様及び死亡との因果関係)について

(原告らの主張)

丙川の放ったグローブが二郎の頭部又は顔面を殴打した衝撃により、硬膜下出血を生じさせて死亡に至らせた。あるいは丙川のグローブが二郎を殴打した直後の転倒によって床板に頭部又は顔面を打ったことにより右結果を生じさせた。

(被告らの反論)

丙川のグローブが二郎の頭部又は顔面を殴打した事実はなく、また、二郎が殴打による転倒によって床板に頭部又は顔面を打った事実もない。したがって、ボクシングの練習と硬膜下出血及びこれによる二郎の死亡との間に因果関係はない。

2  争点2(被告乙山の過失の有無)について

(原告らの主張)

本件事故の態様は前記1の原告らの主張のとおりであるから、被告乙山には、本件事故及び損害の発生に関し、次の注意義務を怠った過失がある。

(一) 二郎は、平成五年一月二一日、スパーリング中突然倒れ、その後も頭痛があるなど体調は優れず、同月二二日から二九日までは学校を休んでいる(ただし、同月二四日は日曜日、二六日から二八日は風邪の流行による全校臨時休校である。)。また、その後も事故当日を含め、必ずしも体調が万全ではなかったのであるから、練習内容に配慮し、相手と対峙する形式の練習は控えさせるなどの注意義務があったのにこれを怠った。

(二) マスボクシングを行う際には、当時の二郎の体調を前提として、二郎の技量と相手の技量との差を慮り、パンチが当たらないようにするための適切な指示をするなどして、危険を回避する注意義務があり、また、状況に応じて、パンチが当たった場合の衝撃を緩和させるため、時宜適切にヘッドギアを装着させるべき注意義務があったのにこれを怠り、国民体育大会への出場経験をもつほど技量の高い丙川を相手とさせ、パンチが当たらないように徹底するための指示も十分にせず、ヘッドギアも付けさせずにマスボクシングを行わせた。

(三) 余市高校には、ボクシング練習用のリングがなく、格技場において、フローリングの床の上に四名の生徒を立たせ、その生徒にロープを持たせて仮装のリングを作り、その中で、スパーリングやマスボクシングを行っていたのであるから、これらの練習をする際には、転倒によって頭部や顔面を強打することのないように、予めヘッドギアを装着させる義務があったのにこれを怠ったため、二郎が転倒により床に頭部等を打ち付けた際、その被害を拡大させた。

(被告らの主張)

(一) 被告乙山は、高等学校におけるボクシング指導者として十分専門的かつ豊富な知識、経験を有しており、余市高校ボクシング部を指導するに当たっては、その指導経験を生かし、日常次のような指導方針で臨んでいた。

(1) 生徒の入部に際しては、過去の運動歴・傷病歴を確認して健康状態の把握に努め、入部後は、綿密な練習計画を立て、部員一人一人の日々の体調、技量に応じた指導を行っていた。

(2) 部員に対し、高校生としての自己健康管理と安全を図る生活習慣を身につけさせるとともに、力量を超えた無理な練習を絶対にしないこと、体調の良くないときは必ず申し出ること、スパーリングは顧問不在時に行わないこと、練習は必ず顧問の指示に従うことを、練習中あるいは練習後のミーティングにおいて個別具体的に指示・注意していた。

(3) マスボクシングを行うについては、部員に基礎体力がつき、正しいボクシングスタイルができ、かつ、正しいパンチとステップワークができるようになってから、しかも、初心者同士では行わせず、また、極端に階級の異なる者同士でも行わせないこととしていた。なお、マスボクシングは、通常は打ち合いをさせないのを原則とするため、ヘッドギアの着脱については部員の意思に任せていた。

もっとも、多少パンチを当ててもよい形でのマスボクシングを行わせることもあるが、その場合、マスボクシングをある程度修得し、スパーリングに入る準備段階に入ってから行わせるものとしていた。また、そのようなマスボクシングは、顧問が立ち会っている場合で、かつ、顧問の指示がある場合に限っており、ヘッドギアとマウスピースを必ず装着させ、スパーリングよりもスピード及びパンチの力を緩めることとしており、これらを折に触れて厳しく指導し、部員への周知徹底を図っていた。

したがって、そもそもマスボクシング中に強いパンチが当たり、相手がダウンし、その際頭部や顔面を床に打ち付けるような事故は想定されていない。

(二) 右のような指導方針は、二郎に対しても行っていた。具体的な二郎に対する指導及び事件当日までの練習は以下のとおりであり、いずれにしても被告乙山に過失はない。

(1) 二郎は、平成四年五月下旬、ボクシング部に入部するまで、ボクシングの経験は全くなかったため、入部時期が同年四月であっても中学時代すでにボクシング経験のあった者とは練習内容を区別するなど、二郎に対して特別の配慮をしつつ、基礎的、段階的な練習を積ませた上で、徐徐に実戦的な練習に入らせた。具体的には、二郎は同年九月までは、パンチ、ガード、ステップ等の基礎的練習に終始していたが、同年一〇月一二日からマスボクシング、同年一二月二〇日からスパーリングの練習を始め、本件事故当時までに少なくとも六〇ラウンド以上のマスボクシングと五〇ラウンド以上のスパーリングを消化していた。したがって、練習方法に無理があったとはいえない。

(2) 二郎が、本件事故前である平成五年一月二一日スパーリング中に倒れ、翌日から体調不良のため学校を休んでいたことに配慮し、他の部員と練習内容を変え、練習量も減らしていた。二郎が練習を再開したのは、登校するようになってから三日後の同年二月一日であり、同日及び翌日は頭痛を訴えていたが、本件事故前日である同月四日の練習前に、被告乙山が「調子はどうだ。」と尋ねると、二郎は「頭痛はもう治りました。鼻が多少グズグズしているのは鼻炎のせいです。」と答えており、また本件事故当日も被告乙山が「調子はどうだ。」と聞くと、「調子はいいです。」と答えており、二郎の体調を確認しながら練習させている。

仮に、現実には二郎の体調が悪かったとしても、二郎は本件事故当時一六歳で十分な判断能力があり、被告乙山としても、日常から自己健康管理について指導してきた以上、それ以上に被告乙山が二郎の体調について配慮しなかったからといって、過失があったとはいえない。

(3) 二郎にマスボクシングをさせる際には、同人がなお一番ボクシング経験が浅かったことに鑑み、同人に積極的な攻撃をさせるなどの配慮をしていたが、本件事故当日も、二郎に練習させる目的で、技量の高い丙川を相手にさせ、グローブの重さにも差をつけていた。また、本件事故当日のマスボクシングにおいては、相手にパンチを当ててもよいという指示は出しておらず、当然相手に当てないという前提であり、このことは二郎も丙川も認識していたはずである。

以上のとおり、二郎にパンチが当たることは想定されていなかったためヘッドギアの装着を部員の意思に任せていたのであり、二郎がヘッドギアを着けていなかったことをもって、被告側に過失があるということはできない。

(4) 二郎が転倒により頭部等を床に打ち付ける可能性は全く想定されていないのであるから、この点からもヘッドギアを着けさせていなかったことをもって、被告乙山に過失があったとはいえない。

3  争点3(被告乙山の個人責任の有無)について

(原告らの主張)

被告乙山には、前記2(原告らの主張)のような注意義務違反があるから、個人としても民法七〇九条に基づく賠償責任を負う。

(被告らの主張)

被告乙山に過失があるとしても、その過失は被告北海道の公務員としての職務執行上のものであるから、公務員たる被告乙山個人が民法七〇九条による損害賠償責任を負うことはない。

4  争点4(損害額)について

(一) 原告らは、本件事故による損害を、以下のとおり主張し、被告らはこれを争った。

(1) 二郎の逸失利益

四三〇九万五三三一円

二郎は、本件事故当時一六歳の健康な男子高校生であったから、その逸失利益は、賃金センサス平成五年産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計の全年齢平均年収五四九万一六〇〇円を基礎とし、生活費控除率を五〇パーセントとして、ライプニッツ係数15.695を用いて計算すると、四三〇九万五三三一円となる。

原告両名は、右四三〇九万五三三一円の二分の一である二一五四万七六六五円をそれぞれ相続した。

(2) 原告らの損害

ア 入院雑費

六〇〇〇円(原告らそれぞれ三〇〇〇円)

一日当たりの入院雑費一五〇〇円に二郎の入院日数四日を乗じた額である。

イ 葬儀費用

一二〇万円(原告らそれぞれ六〇万円)

ウ 慰謝料

三〇〇〇万円(原告らそれぞれ一五〇〇万円)

原告らにとって、二郎は唯一の息子であり、原告甲野一郎の農業を承継させ、障害をもつ原告らの娘の将来を託す予定であったこと等の事情を考慮すると、原告らに対する慰謝料としては右金額が相当である。

エ 弁護士費用

五〇〇万円(原告らそれぞれ二五〇万円)

(3) 合計

被告らが各原告に賠償すべき金員は、右合計三九六五万〇六六五円である。

(二) 既払金の損害額からの控除について

(被告らの主張)

原告らに対し、日本体育・学校健康センターから死亡見舞金として一七〇〇万円、北海道高等学校PTA安全互助会から死亡見舞金として八四〇万円が支払われている。

右死亡見舞金は、原告らの損害を填補する目的をもつものとして、損害額から控除すべきである。

(原告らの主張)

右死亡見舞金は、二郎が任意に加入したことによって支払われたものであり、生命保険金的性質あるいは賠償金控除の対象としない見舞金的性質を有するものであるので、損害額からは控除すべきではない。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件事故の態様及び死亡との因果関係)について

1  司法解剖にかかる医師寺沢浩一作成の鑑定書(甲一〇の四)は、二郎の直接死因を硬膜下出血としたうえ、「これは外力が頭部・顔面に作用して、あるいは頭部が強く揺すられて発生したものと考えられるが、外力の作用した痕跡は認められない。したがって、頭部・顔面に作用した外力の媒体となった成傷器は、広い面積をもつ、比較的柔らかい鈍体と推定される。」としている。

また、本件事故当時脳外科医として二郎の診療に当たった太田穰医師は、当法廷において、「先入観念を持ちすぎないということが必要だが、直感的に外傷だろう、と思った。しかもボクシングをしていたということで、典型的なそういう事故ではないか、と考えた。頭が静止状態から急激に外力で加速されると橋静脈が切れるが、そういう事故だと考えた。」との証言をしている。なお、平成五年二月一三日の時点における右太田医師作成の死亡診断書(甲一〇の三、甲一一)には、二郎の死因につき、外傷(頭部打撲)による脳挫傷と記載されており、右鑑定結果によれば死因は硬膜下出血とされているが、脳挫傷との診断と硬膜下出血との診断との間に必ずしも矛盾はなく(太田証言)、太田証言の信用性に疑問を生ずるものではない。

2  本件ボクシング練習において練習相手を務めた丙川及びその練習を二メートル程度の距離で見守っていた被告乙山は、丙川のパンチが二郎の頭部又は顔面に当たったことを明確には肯定していない(この点は後記)。しかしながら、右のとおり、二郎の死亡前に担当医として診療に当たった医師と鑑定人として司法解剖に当たった医師とが、互いに何ら意思疎通がないにもかかわらず(太田証言)、専門家として別個の立場において同趣旨の意見を述べているのであり、殊に太田医師は、「本件事故当日二郎が余市協会病院に搬送されてきた際、余市高校関係者から、外的な力は一切加わっていないとの説明を受け、おかしいなというふうに思った。」との供述までしているのであって、これらの医師の意見によると、本件ボクシング練習において、丙川のパンチが二郎の頭部又は顔面を相当な速さで直撃したと認めざるを得ない。

本件ボクシング練習において練習相手を務めた丙川は、平成七年六月の原告ら代理人に対する供述(録音テープの検証結果)及び平成八年七月の当法廷における証言において、どちらも手応えや衝撃が残るようなパンチは当たっていないとしているが、一方では同人のパンチが二郎に当たった可能性を否定していないのであり、本件事故当時一八歳の少年であった丙川が、ボクシングの練習中に対峙相手であった後輩が倒れ死亡するという重大な出来事に遭遇し、混乱困惑したことは想像に難くないのであり、その中で振り返ってみて、自己のパンチが二郎に当たったことについて右のような表現を取ったとしても、何ら不思議はなく、丙川の供述によって同人のパンチが二郎に当たっていなかったと認定することはできない。また、本件事故当時、リングの中で二郎及び丙川から約二メートルの距離においてレフェリー役を務めていた被告乙山は、衝撃のあるようなパンチは二郎に当たっていないとの供述をするが、一方では丙川のグローブが二郎の頭部又は顔面に当たったことはあり得るかとの質問に対し、「あり得るともあり得ないとも何とも言えないです。」と答えているのであって(本人尋問)、教師として微妙な立場に置かれた同被告の供述としては、丙川の場合と同様に、これをもって丙川のパンチが二郎に当たっていなかったとすることはできないというべきである。

3 前記前提となる事実及び認定事実並びに証拠(乙六、七、検証結果、証人丙川、被告乙山)によれば、マスボクシングにおいても繰り出したパンチが練習相手に当たることは従前からあったこと、本件ボクシング練習においても、丙川と二郎との距離は離れたときでさえせいぜい一メートル程度であって、繰り出したパンチが相手に当たる程度の距離であったこと、二郎は一年生で入学前にボクシングの経験がなく平成四年五月二一日からボクシング練習を始めたばかりであり、しかも本件事故前の平成五年一月二二日から同月末日までは体調不良のためボクシング練習をしておらず、同年二月一日から軽い練習を再開したばかりであったのに対し、丙川は三年生でインターハイや国体出場経験を有し、全国の高校で五位の成績を収めたことがあるのであって、その技量は二郎のそれを相当上回るものであったこと、以上の事実が認められる。さらに、一般的にマスボクシングは相手があって互いに相手の動きを見ながらパンチを出すものである以上、当てるつもりはなくとも相手が自分の予測と違った動き方をすればパンチが当たってしまうことがあるのは経験則上あり得ることと考えられる。とすれば、右認定の事実に、前記医師二名の意見及び供述、丙川及び被告乙山の微妙なニュアンスの供述、さらに後記4の点を総合すると、丙川の繰り出すスピードのあるパンチに未熟かつ練習不足の二郎が対応できず、頭部又は顔面に当たった事実が推認できるというべきである。

4  なお、丙川のパンチが当たったこと以外の原因により二郎が死亡した可能性について検討する。

(一) まず、二郎が平成五年一月二一日スパーリング中に倒れた(このことは当事者間に争いがない。)ときに脳の出血を生じ、それが原因で同年二月五日に倒れた可能性について検討すれば、同年一月二六日のCTスキャンの結果は二郎の脳に異常が見られなかったものの(甲一五)、CTスキャンに写らない出血の見落としの可能性もあり得ないわけではなく(太田証言)、また、同月二一日から二月五日までの間、二郎が頭痛を訴えていた(甲二一、原告両名)というのであるから、このことが右の可能性を裏付けるものとも考えられないではない。

しかし、証拠(後掲)によれば、過去に脳内に生じた出血が慢性硬膜下血腫を形成し、これが増大して脳を圧迫することにより死に至る場合には、臨床経過も徐々に意識障害等の症状が出てくる場合が多く、また、その場合には、解剖で古い血液を確認できること(証人太田)、ところが、二郎は本件事故の直前まで麻痺や意識障害を訴えることがなかったこと(乙六、被告乙山、原告甲野一郎)、また、解剖の結果においても、古い血液の存在を指摘されていないこと(甲一〇の四、証人太田)が認められ、右事実によると、病院に搬送される直前に脳の重大な損傷が発生したと考えるのが相当である。

(二) さらに、二郎が倒れた際に床に頭部又は顔面を打ち付け、硬膜下出血を起こした可能性について検討する。

二郎が倒れたときの状況については、前記第二(事案の概要)二2のとおり、腰を後ろに引く形で床に膝をつき前方にかがむように倒れたものと認められ、二郎が床に頭部又は顔面を強打したとは考えられないのみならず、司法解剖における鑑定書(甲一〇の四)も前記のとおり頭部・顔面に作用した外力の媒体としては「比較的柔らかい鈍体」と推定されるとしており、これはフローリングの床とは合致しないものと考えられる。このほかに二郎が床に頭部又は顔面を打ち付けたことを認めるに足りる証拠はない。

二  争点2(被告乙山の過失の有無)について

1  公立学校における在学関係は、入学許可という行政処分によって発生する公法上の関係であって、契約によって生じた私立学校における在学関係とは異なるというべきであるから、民法四一五条を根拠法条とする主位的主張は理由がない。しかしながら、公立学校の教師は、その職務上生徒に対し教育活動を行うに当たり、教育活動によって生じる危険から生徒を保護すべき注意義務が課せられているというべきであり、この義務に違反すれば設置者たる国又は地方公共団体は、国家賠償法一条の責任を負うというべきである。

2  左のとおり、被告乙山によるボクシング部の指導監督は、公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うことに該当するので、以下被告乙山の過失の有無について検討する。

(一) 指導方針ないし一般的練習方法に関する過失について

証拠(甲九、乙七、八の二、証人丙川、被告乙山)によれば、被告乙山が、ボクシング部において、前記第二(事案の概要)四2(被告らの主張)(一)のとおりの指導方針に沿って指導してきたこと、二郎に対する指導について、入部以来、体力及び技術の向上を確認しながら段階的な練習を積ませてきたことが認められるから、指導方針あるいは一般的な練習方法に過失があったと認めることはできない。

(二) 本件ボクシング練習の方法に関する具体的事実

前記前提となる事実及び認定事実並びに証拠(甲二一、乙七、八の二、検証結果、証人丙川、原告甲野一郎、被告乙山)によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 二郎は、中学生時代等にボクシング経験がなく、平成四年四月余市高校入学後の部活動も、当初は柔道部に所属し、部活動としてのボクシングの練習を始めたのは同年五月二一日からであって、同部の同じ一年生部員とは差のある練習を行ってきた。

(2) 二郎は、平成五年一月二一日、ボクシング部のスパーリング練習において倒れ、同月二二日から同月二九日までの間、体調不良により学校を休んだ(ただし、同月二四日は日曜日、同月二六日ないし二八日は全校臨時休校である。)。

(3) 二郎は、平成五年二月一日からボクシング部での練習を再開したが、同日から同月四日までの練習内容は他の部員とは異なり軽いものであった。また、当時二郎は両親に対し頭痛を訴える等体調が思わしくなく、そのため原告らは、同月三日に提出した高体連ボクシング新人戦への参加同意書において、二郎の健康状態が悪化したら同意を撤回するとのただし書をつけた。

(4) 本件ボクシング練習において二郎の相手をした丙川は、中学時代からボクシング経験のある三年生であり、インターハイや国体出場経験を有し、インターハイの北海道内での大会で優勝したり、国体において全国の高校の部で五位の成績を収めたことがある。

(5) マスボクシングは、前記のとおり、グローブを着け、二人一組で互いに一定の距離を保ち、実際にパンチを当てずに、タイミングをはかりながら攻撃や防御を繰り返す練習方法であるが、繰り出すパンチ自体はいわゆる寸止めであって、実際に当たると相当の衝撃を生ずるものである。

(6) 丙川は、本件ボクシング練習の前に、二郎が以前に一回倒れたことを聞いたが、二郎の当日の練習を見てもう大丈夫であると思い、また、以前に倒れたときはたまたま顎にパンチが入って倒れたという意識しかなかった。

(7) 二郎は、本件ボクシング練習の最中に、丙川が出したパンチを頭部又は顔面に受け、その後、前方にかがみ込むように倒れ、余市協会病院に運び込まれた。

(三) 本件ボクシング練習における被告乙山の過失について

ところで、そもそもボクシング競技は、グローブをはめた手で相手の顔面及び上半身という身体の枢要部を殴って、一時的ダメージを与える等して勝敗を競うスポーツであり、殴打された者が死亡したり極めて重症の障害を負うに至ることもままあるものであって、各種スポーツの中でもその危険性は他に比類するものがない程高いものであることは、公知の事実である。このような極めて危険性の高いスポーツを高校教育の一環である部活動において行う場合には、これを指導監督する者は、極めて高度の注意義務を負うものであって、一般的な練習方法の策定実施において注意すべきはもちろんのこと、具体的な練習のケースにおいて、そのケースに即した指示ないしアドバイスを発する等して、ボクシングに伴う重大な事故を招来しないようにする注意義務を負っているというべきである。また、繰り出すパンチのスピード、これを見分ける動体視力、そしてこれに従ってパンチを回避する運動能力等において、上級者とそうでない者とは隔絶の差があることも公知の事実であるから、上級者とそうでない者とが互いにパンチの当たる可能性のあるボクシング練習をする際には、より一層の注意義務が要求されているというべきである。

本件について、前記(二)の認定事実に照らし検討すると、二郎は、相手方と打ち合うという本格的な練習を始めてから日が浅く、技術的に極めて未熟な初心者であり、しかも本件ボクシング練習日の数日前までの一〇日間にわたりボクシング練習を休んでいたのみならず、本件ボクシング練習の行われた当時も体調不十分であったのであり、被告乙山も前記のとおり本件事故の二日前に提出された参加同意書にただし書がついていること等から、当然に認識できたはずである。一方、二郎の本件ボクシング練習相手となった丙川は、前記のとおり相当高度の技術を持ち、高校生としては上級のレベルにある者であり、両者の間には隔絶の技量差があったというべきである。したがって、以上のような状況の下では、指導担当者としては右のような技量差等のある者同士がパンチの当たる可能性のあるマスボクシング練習を行うことを避けるか、行うにしても少なくとも技量的体調的に劣る二郎にヘッドギアを装着させたり、丙川に対して絶対にパンチを当てることのないように改めて注意する等して、ボクシングにおいて生じがちな重大な事故を未然に防止する高度の注意義務があったというべきである。

ところが、被告乙山は、右のような注意義務を怠り、二郎にヘッドギアを装着させることなく、しかも丙川に対し特別な注意を与えることなく漫然と本件ボクシング練習を開始し、そのため丙川をして二郎が技術的に未熟であり体調が不十分であるから絶対にボクシングパンチを当ててはならないとの意識を十分に醸成することがなく、その結果本件事故を招来させたというべきである。

右のとおり、被告乙山には国家賠償法一条一項にいう、職務を行うについての過失があったと認められる。

(四) そして、二郎と丙川との間の本件ボクシング練習を行わなければ、あるいは、ボクシング練習を行ったとしても、丙川に対し二郎にパンチが当たらないように指示を徹底すれば、本件事故は回避できたということができるし、また、本件事故後の二郎の脳は、右大脳半球が非常に腫脹して中央構造物を右から左へ押し、右大脳半球の表面に出血が認められるという状態にあったのであり(甲一六、太田証言)、これは、通常のむち打ちが起こる程度の力よりも強い外力が加わったことによるものと推定される(太田証言)から、少なくとも二郎が頭部等を保護するための防具であるヘッドギアを装着していれば、右外力による頭部等に対する衝撃が、ヘッドギアに吸収されることによって緩和され、死亡という重大な結果を回避できたと認められる。

したがって、被告乙山の過失と二郎の死亡との間には因果関係があるといえる。

(五) よって、被告北海道は、被告乙山の前記過失により生じた後記損害を賠償する責任がある。

三  争点3(被告乙山の個人責任の有無)について

本件事故は、前記のとおり、学校教育活動の一環である部活動の指導監督という公権力の行使に際して発生したものである。ところで、公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて他人に与えた損害については、国又は地方公共団体がその被害者に対して損害の責を負うのであって、公務員個人はその責任を負わないものと解されるから、被告乙山は、そもそも賠償責任を負わないものであり、原告らの被告乙山に対する請求は、既にこの点で理由がない。

四  争点4(損害額)について

1  二郎の損害について

(一) 逸失利益

四五二四万九四一一円

弁論の全趣旨によれば、二郎は、本件事故当時、高等学校に通う健康な満一六歳の男子であったことが認められる。

平成五年の賃金センサス(産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計・全年齢平均)によれば、二郎の逸失利益算定の基礎となる年収額は、五四九万一六〇〇円である。そして、生活費控除を五〇パーセントとし、また、一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であったとして、中間利息をライプニッツ方式で計算すると(ライプニッツ係数は16.4795)、その逸失利益は四五二四万九四一一円(円未満切捨て)となる。

(二) 相続

原告甲野一郎は二郎の父、原告甲野松子は二郎の母であり、原告らのほかに二郎の相続人がいないことは当事者間に争いがない。したがって、原告らは二郎の損害賠償請求権をそれぞれ二分の一ずつ相続した。

2  原告らの損害について

(一) 入院雑費 五二〇〇円

二郎は本件事故当日である平成五年二月五日、余市協会病院に入院し、同月八日死亡するまでの四日間同病院に入院しており(右事実は当事者間に争いがない。)、原告らが入院雑費相当額の損害を被ったと認められるところ、右入院雑費としては一日当たり一三〇〇円が相当であり、これに四日を乗じた金額である五二〇〇円が損害となる。

(二) 葬儀費用 一二〇万円

二郎の年齢等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係に立つ葬儀費用は一二〇万円と算定するのが相当である。

(三) 慰謝料 一五〇〇万円

甲二一及び検証結果によれば、原告らが本件事故による二郎の死亡により多大の精神的打撃を受けたことが認められる。そして本件事故の態様や事故後の経緯その他一切の事情を考慮すると、原告ら合わせて一五〇〇万円と算定するのが相当である。

(四) 弁護士費用 四〇〇万円

原告らが弁護士に依頼して本訴遂行に当たったことは記録上明らかであるところ、以上認定の損害額に本件訴訟の審理経過、難易度等を考慮すると、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用は、四〇〇万円をもって相当と認める。

(五) 右(一)ないし(四)の合計金額は二〇二〇万五二〇〇円であり、弁論の全趣旨によれば原告らはそれぞれ二分の一ずつ負担ないし取得したことが認められるから、各原告につきそれぞれ一〇一〇万二六〇〇円となる。

3  既払金について

原告らに対し、日本体育・学校健康センターから死亡見舞金一七〇〇万円が、北海道高等学校PTA安全互助会から死亡見舞金八四〇万円がそれぞれ支払われていることは、当事者間に争いがないところ、これらは二郎の死亡に対する損害を填補する趣旨であると認めるべきであるから、右各金額は二郎の損害額から控除するのが相当である。

そこで、二郎の損害は前記第三(争点に対する判断)三1(一)の金額四五二四万九四一一円から右各金額の合計二五四〇万円を控除した一九八四万九四一一円となり、原告らはこれを二分の一である九九二万四七〇五円(円未満切捨て)ずつ相続した。

4  右1ないし3を計算すると、各原告はそれぞれ二〇〇二万七三〇五円を請求し得ることとなる。

第四  結論

以上によれば、原告らの請求は、被告北海道に対するそれぞれ二〇〇二万七三〇五円及びこれに対する本件事故後である平成五年二月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告北海道に対するその余の請求及び被告乙山に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、仮執行の免脱宣言につき同法一九六条三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官一宮和夫 裁判官金子修 裁判官浅岡千香子)

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